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今夜の番組チェック
アメリカ連邦最高裁 ポラック事件判決文
ダグラス判事の少数意見
本件は司法判断が求められる初めての事件である。判例はない。これまでに展開され適用された原則もない。われわれは白紙に書くことになる。
本件は修正第一条で使われている「自由」の意味にかかわる。憲法上の自由は、違法な政府の制約からの自由以上の意味をもつべきである。プライヴァシーが自由の存在する場であるなら、プライヴァシーも自由に含まれるべきである。ほうっておいてもらう権利は、まさにすべての自由の始まりである。われわれのプライヴァシー要求の一部は、修正第四条の不合理な捜索、逮捕の禁止による。これは、ひとの自宅が好奇なあるいはお節介なひとびとの侵入を許さない城であることを保証する。もちろん、ひとは道路や公共の場に出ていくとき、このプライヴァシーを失う。しかし、自宅以外の場の行為であっても、プライヴァーに対する管理を免れる権利を有する。当人の意思に反して宗教的儀式に参加することを強要されない。当人の良心に背いて儀式を肯定し、あるいは従うことを強要されない。他に対立して一つの宗教的、政治的、あるいは哲学的信条を受け入れることを強要されない。修正第一条で保証された宗教の自由と言論の自由は、ひとが選択する礼拝、著述、言論を認めるだけではない。これは、政府が選択する行為や行動を行わない自由を与えている。個人の良心を尊重する修正第一条は、思考と信条の聖域を尊重する。ひとが自ら選ぶように考え、望むように信じることは、ほうっておいておらうという憲法の権利の重要な側面である。
この修正第一条が教える事柄を記憶しているならば、修正第五条の「自由」を本法廷のように狭く解釈することにはならないとわたしは考える。本件には、ひとびとに聴取を強制する形態がかかわっている。もちろん、聴取者は公共の場にいる。彼らは路面電車で自宅から通っている。ある意味では、路面電車に乗る者は自発的にしているとも言える。
だが、現実には、これらの輸送手段は今日、多数のひとびとにとって不可欠であるから、ひとびとは乗ることを強制されている。状況による強制は、命令による強制と同じく実体的であり得る。
路面電車の聴取者は捕らわれの聴衆である。彼らは選択の結果ではなく、必要上やむを得ずそこにいる。もちろん、公共輸送機関に乗る者は、群衆の喧しさやおしゃべりに苦情を言わないだろう。公共の場に入る者は、プライヴァシーの一部を犠牲にする。わたしが反対するのは、移動のリスクを越えるプライヴァシーの侵害に対してである。
政府は多くの理由から公共の車両のラジオ(あるいはテレビ)を利用するかもしれない。今日、政府はこれを文化的目的に利用するかもしれない。明日は、政治的目的に利用するかもしれない。プライヴァシーの権利に関するかぎり、目的による相違はない。ある役人が選択した音楽は、一部には心地よいかもしれないが、一部には不快かもしれない。その日の出来事を報告するべく選ばれたニュース解説者は、ニュースに当局の長を喜ばせるが、路面電車の捕らわれの聴衆を苛立たせる調子をもたせるかもしれない。路面電車のラジオ番組を制作する官僚は、ラジオのある発言者が言外に伝える政治哲学を、公共の福祉に最善だと考えるかもしれない。だが、朝晩の通勤途上にこれを聞く者は、これが国家への反逆だと考えるかもしれない。
自宅で不快な番組を聞く者は、自由にラジオを消すこともできるし、他の局に変えることもできる。レストランなどの公共の場で苛立たしい、あるいは不愉快な番組を聞いた者は、立ち上がって出ていくことができる。だが路面電車の乗客は坐って聞いている、あるいは坐って聞かないでいよう
と努力するしかない。
ひとびとに他者の考えを聞くことを強要するとき、われわれは扇動者に強力な武器を与えることになる。今日、ラジオ番組を作成するのは政府に保護されている企業である。明日は、それが支配的な政治グループ、あるいは宗教グループであるかもしれない。今日、その目的は寛容である。番組には疎ましい雰囲気はない。だが、このシステムには固有の悪がある。プライヴァシーは一度侵害されれば、消滅する。ひとがいったん、ある種のラジオ番組の聴取を強制されれば、べつの番組をも強制され得る。文化的番組から政治的番組への距離はほんの一歩である。
自由が栄えるためには、政府は決してひとびとにいかなるラジオ番組の聴取も強制してはならない。プライヴァシーの権利には、競合する娯楽、競合するプロパガンダ、競合する政治哲学のなかから選び取る権利が含まれるべきである。ひとびとが自由にこうした選択ができるようほうっておかれるならば、プライヴァシーの権利はその性格においても信頼性においても実りを結ぶだろう。われわれのシステムの力強さは、国民の誠実性、資質的豊かさ、独立性にある。われわれは国民が個人として最も賢明な選択をする能力を信頼している。このシステムは、集団的強制が行われれば栄えることはできない。本日侵害あれたプライヴァシーの権利は、ひとの心をコントロールしようとする者に対する強力な抑止力である。