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闘病日記
枠山範雄さんは、1997年5月に「急性リンパ性白血病」を発病、翌年7月に骨髄移植を受ける。その後、何回か再発を繰り返し、2000年6月にはリンパ球輸血を行ったが、同年9月19日に再発し、ついに10月3日に亡くなった。まさに壮絶な3年間の闘病生活だった。
以下、死の直前まで書き続けた彼の闘病日記である。
職場にいかなくなってそろそろ3年になります。白血病になって入退院を繰り返しているからですが、職場ではなく「ユニオン・らくだ」に顔を出せなくなったのはつらいですね。初めの頃は、よくなればまた以前のように動き回れると考えていたのですがどうもそう一筋縄ではいかないようです。フルタイムの仕事が出来なくなったのは仕方がないとして、なんらかの方法で、以前、つきあいのあった人々やグループとのつながりを考えなくてはと思い始めました。病院や自宅での療養は、あまりにも刺激がありません。
病室や自宅から、様々なことがらへの参加が可能かどうかはこれからの課題ですが、とりあえずは「らくだのたより」に近況報告を載せることからはじめてみようと思います。
【6月11日】
「らくだ・学校グループ」が要求していた管理職試験の公開の件ですが、交渉で誠意ある対応がみられないので、情報公開請求に踏み切りました。結果は、市教委のことですから当然非公開でした。異議申し立てすることになり、申立書の一部ですが手を入れさせてもらえました。しみじみ、まだ組合員なんだと実感しました。また、まだものを考える力が残っていることが確かめられもして、ありがたかった。
【6月12日】
何ヶ月も放置していたノートパソコンを引っ張りだした。抗ガン剤による治療で手足の指のしびれがひどく、キーボードを触る意欲が出なかったのですが、メールを通じて少しでも自分から発信してみようという気になったからです。「らくだ」にメールを送ろうとしたのですが、最初は自分のアドレスを忘れている始末でした。
【6月14日】 先月の下旬から、抗ガン剤による治療をしています。治療が始まって今日で15日目。白血球が
100まで下がり、今がしんどいところです。抗ガン剤の治療は、ガン細胞をやっつけると同時に、健康な細胞も破壊します。ですから、血球も下がりいろいろな副作用も出てきます。口内炎、全身倦怠、便秘、手足のしびれ、発熱、下痢等々。1回の治療は、だいたい3、4週間。そのうち感染症などの心配があるのは後半の10日ほどです。この期間さえ、感染症にかからなければ無事一つの治療を終えることになるわけです。そして、2、3日の帰宅が許され一杯飲めます。今回の治療で、うまく白血病細胞が消えてくれれば、引き続いてリンパ球をいれる治療へと進む予定です。この治療は骨髄移植をして再発した患者の治療に有効と米国では報告されています。昨年に再発したときには、日本ではまだ血縁者間のドナーからだけが認められていました。昨年の8月にこの治療が開始されていればという気もします。
しかし、今年から骨髄バンクのドナーの方からもリンパ球をいただけるようになりかなりの人が希望を持っているはずです。間に合ってよかった、というのが正直な感想です。
厚生省では、新薬や新しい治療の認可にはずいぶん時間をかけるそうですが、米国では最近出来た法律によればガンの新薬は、申請から6か月以内に認可されるそうです。それもそのとおりで、6か月の差が生還できるかどうかということもあるわけです。厚生省の新薬や新しい治療に対する認可も、1年以上という現状を、せめて米国なみにしてほしいものです。
【6月15日】
6・15から40年。安保は、新ガイドライン、盗聴法、国旗・国歌法、憲法調査会の設置などでより軍事的色彩を強く持っている事態になった。だが、このままいっきに転がり落ちていきそうもないのが今の時代のおもしろさか。自立した個がこだわり、ふんばる場を持っている人々がふえたことは大きい。「らくだ」や市民運動の存在も大きい。もう少し、世の中どうなるのか見てみたい、関わりたい。
Kさんが、メールをもらったのでと言いながら、見舞いに来てくれる。ここは市立病院と違い、少しぐらいの白血球の低下でも面会が出来るというのはありがたい。友達との何気ない会話は、ほっとするひとときである。
【6月16日】
朝から採血。昼頃結果の一部がわかる。白血球が
900まで上がる。成人男性ではだいたい、3000から6000ぐらいというから、まだまだ上がらなければならないのだが、それでも上向きにあるということで気分は楽になる。とにかく感染症の心配からは解放される。3年前は、2週間以上も40度近くの熱が出てたいへんだった。高熱が続くと寝ることが出来ないのだ。この調子で回復すれば、来週の中頃には、骨髄から骨髄を採取して、白血病細胞があるかどうかを調べることになる。もし状態がよければ、すぐにリンパ球の輸血になるだろう。いい結果を期待したい。
【6月21日】
曇り空なので鞍馬山にでかける。移植とリンパ球輸血からは、拒絶反応が出てはいけないとのことで陽に当たらない生活を心がけている。 夜、活動する吸血鬼のようなものだ。昼間、どうしても出かけなければならないときは、つばの広い帽子にマスク、長袖の白い上着を着る。花粉症の季節はいいのだが、夏が近づくとやはり人々は避けて通る。
久しぶりに山の中でのんびり過ごし、登りはケーブルだったが、帰りは山歩きを楽しんで下る。連れあいたちは、そのあと鞍馬温泉につかったが、ぼくは胸にカテーテルが入っているのでその周辺を散歩して楽しむ。
治療と治療の間に、こうして2、3日家に帰れるのは本当にありがたい。帰宅中はめいっぱいやれることをするようにしている。翌日は、Kさん夫妻と家で一杯やることになっている。その次の日は、妻と嵐山の料亭でランチ。妻とは病気になってから一緒にいる時間が増えたのか、色んなことをよく話すようになったし、2人で出かける回数も増えた。ガンの贈り物だ。
【6月24日】
骨髄の白血病細胞は1%だったが、リンパ球を入れるには限りなく0%に近づけたいとの医師の判断で、もう一度抗ガン剤による治療が今日から始まる。
24時間点滴に4日間つながれる。おそらく、前回よりもきつい抗ガン剤が入るに違いない。情報公開の流れは、医療の現場にも押し寄せていて、使う薬の名前や効能と副作用は説明される。これで、患者はかなりの不安からは解放されるが、それでも個人差があるため、治療を始めてみないとどうなるかはわからない。
【6月30日】
白血球が下がり始めた。夕方から血小板の輸血がある。
この病気になってから、意識して体験記やガンに類する本は読まなかった。なるようにしかならないだろうと居直っていたからだ。しかし、3度目の再発を経験して、このまま西洋医学だけに任せておいていいのかという疑問がわいてきた。自分の病気は自分で治す姿勢が必要なのではないかとも思い始めた。サマール協会のYさんが薦めてくれた気功など友人達がすすめてくれていいと思うことは続けているが、これらを始めてからは、治療による副作用が目に見えて軽減されているように思える。
具体的には、寝込む日が減少し、口内炎がひどくならない、高熱が出ないなどであるが、血球が回復するまでの期間こうしたことを回避できるのは実にありがたい。疲れやすいが、本は読めるし食事ものどを通る。口内炎がひどくなると、流動食もはいらない。栄養点滴だけで何日も過ごすことになる。その結果、血球が回復しても寝込んでいるので、足腰が弱ってしまい、体力が回復しないまま次の治療へと入ってしまい、さらにひどい副作用に悩まされることになる。
帯津良一さんの著書『ガンを治す大事典(二見書房)』には、「ガンは大変な病気です。しかし、治らない病気ではありません。ガンという難敵とどう対決するか、さまざまな戦術をうまく選択することによって必ずや勝利を勝ち取ることができるはずです。そのためには、西洋医学の治療法だけでなく、東洋医学や民間療法にも、ガンと闘う戦術を求めるべきです」とある。
なるほどと自身の経験に照らしつつ、拾い読みする。気功や食事療法など、自分で出来ることを続けることはいいことのようだ。
【7月7日】
午後からリンパ球の輸血が始まる。心電図を取り付け、酸素マスクをつけてたいそうである。医者も4名が勢揃い。60ccを入れるだけなので、15分ほどで終わる。昨日、骨髄を調べ良好ということで今日の輸血になったが、拒絶反応がでるとすれば、2〜4週間先と言うことである。とにかく、治療としては一歩前に進んだことになる。後は、血球の回復を待ちインターフェロンの注射の開始を待つだけである。
北九州のユニオン・ういのTさんより電話。卒業・入学式での不起立の教師にかけられた処分について、福岡弁護士会に人権救済の申し立てをしていたところ、先日教育委員会に対して「警告書」が出されたとのこと。この10数年、毎年夏に処分を乱発している北九州市教委、今年の夏は大きなプレッシャーをかけられたわけだ。・「君が代」に抗議して着席した教職員の行為を処分することは人権侵害に当たると判断した福岡弁護士会にエールを送りたい。
【7月10日】
この2、3日頭が痛いと思っていたら、ヘモグロビンの数値が低い。夕方から、赤血球の輸血がある。
一日横になったまま、本を読んで過ごす。立ったり座ったりすると頭がくらくらするからである。夕方、Kさん仕事帰りに椎名誠の新刊を持ってきてくれる。らくだのMさんKさん見舞いにきてくれる。今年の冬こそはMさんのペンションに泊まって、のんびりとスキーを楽しみたい。
【7月14日】
白血球は回復したが、血小板の数値が低い。今回の治療で5回目の血小板の輸血が、夕方から始まる。抗ガン剤による治療は、回数を重ねると血球の回復が遅れると言うが僕の場合も例外ではないようだ。インターフェロンの注射も、血小板が回復しないと始められない。
【7月18日】
中学生の長女の個人懇談会の日である。出席した妻や長女によると、卒業証書の年号記載を国際歴(西暦)で希望してきたが、校長の判断では出せないと返事されたそうである。校長名で発行するものを、自分で判断できないとは一体どういうことなのか。この校長は自分の発言の意味を理解しているのであろうか。
校長が自分の判断で出来ることが、次から次へと教育委員会の指示待ちになっていったことにより、学校の裁量権が無くなり、個性ある取り組みが学校から姿を消し、全市どこに行っても同じ学校になったのだ。元号以外の使用を排除するのは、京都市では学校だけである。校長さん、もう少し視野を拡げてみては。
【7月19日】
朝からメールを開く。Tさんより、壬生寺ではせみがないているという季節を感じさせるお知らせ。病室にいると温度の変化を受けないので、こうした出来事を知らせてもらえるのはうれしい。
夕刻、インターフエロンの自己注射について、先生より説明を受ける。このあと、帰宅を許される。 10時頃から、妻とビールを少し飲む。
【7月20日】
久しぶりにざるそばを食べたくて近くの店に行く。そのあと清滝に行くが、人が一杯なので高雄嵐山パークウェイに行く。
保津峡を見ていると、川下りの船に混じってカヌーがたまに下っていく。どのルートを選ぶのか、上からウォッチング。もう一度カヌーを楽しみたい。
このあと、子どもたちをアスレチックで遊ばせ、一人ビールを飲む。うまい。
【7月22日】
こうして夏休みに家にいられるのはひさしぶりのことである。発病してこの4年、毎年入院していた。休み中のこども達と過ごせるのは初めてのことだ。
夕食後、Kさんがフィリピンのサンミゲルビールをもって現れる。お盆からサマール(フィリピン)
に10日間ほどいくそうだ。サマールに海外青年協力隊で派遣された人がいるので会ってくるそうだ。定期的に報告を送ってもらえるといいねという話をする。帰ってきたら、京都サマール友好協会の会報を出すように催促。
こうして、家にいるときに友人と一杯飲む時間はなにものにもかえがたい。
【7月25日】
インターフエロンの自己注射、今日から開始。ぼくは、手のしびれがあるので妻にしてもらうことになった。うまいものである。さすが学生時代生物専攻。これから週に3回、リンパ球の働きを補完するものとして継続する。
夜、熱が出た。インターフエロンの副作用である。
【7月29日】
GVHD、つまり拒絶反応がでる。インターフロンの注射は中止になった。喉が痛く、腕、胸、背中等にGVHDの反応が出る。31日に退院が決まっていたので、がっかりである。とりあえず退院は延期。
夕方、昨年夏の入院で同室だったKさん夫妻がお見舞いに来られる。すごく、元気になっておられた。このときの4人は年齢層も異なっていたが、気がよくあい毎日よく話をした。大部屋にいると、一日カーテンを閉めたまま挨拶もしないひとがたまにいる。それだけならいいのだが、なかには自己主張のみして、周りの人に対する配慮にかけるひともいる。こういう人が一人でもいると、病室全体がギスギスするからかなわない。
【8月2日】
I先生の説明では、GVHDがおこれば GVL効果も同時にあるということだ。つまり、
GVL効果とは、白血病細胞をやっつけてくれる反応らしい。だからGVHDの反応を全面的に止めないで、ある程度は持続させていくという。下痢や発熱が続かなければ、全身に出ている反応は気にしないようにと言われる。
午後、Kさんが見舞いに来てくれる。少しぐらいしんどくても、誰かがきてくれて話をしているとそのときだけでしんどさを忘れることが出来るのでありがたい。
【8月6日】
今日は熱が出なかったが、喉がまだ痛い。喉が痛いと食べることができない。こんなときは、アイスクリームやプリンを食べてなんとか体力の温存をはかる。栄養点滴もあるのだが、なんとか自力で栄養を補給すべきという信仰のようなものがある。今年も誕生日を病院で迎えてしまった。
子どもたちがプレゼントを持って見舞いにきてくれる。Yちゃんが作ってくれたビデオレターは、我が家の愛犬あいが登場するので何度見ても飽きない。
「うい」のTさんが見舞いにみえる。今年も、北九州で卒業入学式で座っただけで、2人が処分されている。福岡弁護士会が、この直前に処分は人権侵害との警告書を出しているにもかかわらずである。処分を繰り返すしか他に方法を持たぬ北九州市教育委員会にはただあきれるばかりである。処分行政はもはや破綻したも同様である。この闘いは、処分される側の勝利だ。名実ともに実質的な勝利を勝ち取られるまで根気よく闘われることを願う。たいした力にはなれないが、熱く注目したい闘いである。
【8月10日】
メールを久しぶりに開く。しんどいと、触ろうという意欲がわかない。たくさんたまっている。返事を書くだけで午前中の仕事になった。もっとも、体がだるいので休み休みやっているからである。
今日、長女が塾の合宿から帰ってくる。すこしは受験勉強のやり方が身についたかな。高校受験、昔と違いさっぱりわからない。地元の高校にいくのではなく、大学受験のために制度を変えたという感じがする。これで、子どもたちの進学がよりスムーズになっていればいいのだが、どうも現実は違うようである。
昨日、食べたラーメンがこたえたのか下痢をしてしまう。とにかくお腹が張ってしんどい一日であった。
【8月16日】
先月まで担当医であったK先生が、ときどき顔を出して様子を見てくださる。いままでこんなことはなかったのでありがたい。とくにしんどいときは人の厚意や親切が身にしみる。ここでは、研修医は3ヶ月ごとに持ち場が変わる。やっとなれたと思ったら、新しい研修医と交代するシステムになっている。
夜、五山の送り火をみる。部屋の目の前が大文字山なのですごい迫力である。他のは、部屋から出て廊下から見ることになる。ずっと下痢が続いて、歩くのがやっとであるがなんとか全部みることができた。
【8月24日】
下痢の原因を調べるために大腸ファイバーをすることになった。車椅子で検査室まで行く。
目の前に画像があるので検査の間みていたら、暗い気分になってきた。GVHDが、大腸や小腸のなかにひろがっているのが素人の僕にでもわかるからである。途中何回か細胞らしきものを切り取るのが見えた。
1時間少しで終了。検査して下さった先生の話によれば、GVHDの反応がでているとのこと。潰瘍などはGVHDがひいていけば収まるから心配はいらないとのこと。すこし、ほっとする。病室では妻が心配していることだろう。
夕方、KさんMさん見舞いにくる。Mさんまた腹が出たようだ。よくなったら、3人でカニを食べようと話がまとまった。
夜から治療が変わる。免疫抑制剤をつかって、
GVL効果を持続させながら、GVHDを押さえ込むようだ。これで、1日点滴をひきずることになる。回復には順調にいって1ヶ月はかかるとのこと。退院は、はやくて10月頃か。
【8月28日】
I先生、朝の回診でにこにこしながら「だいじょうぶです。元気になりますよ」と声をかけてくださる。患者にとっては、一番励みになる言葉である。
【9月1日】
朝からメール開く。たくさんたまっている。返事を書くだけで昼頃までかかる。全国学校労働者の学労ネットに入っただけで、各地の今の情報がすぐに手に入るのは動けないだけに有り難い。
今年も、「日の丸・君が代」の強制で東京の国立市で教員17名が処分。職員会議で反対した、校長に抗議した、当日リボンを着用したというのが理由である。学校の門をくぐるだけで思想・信条の自由は制限されてしまう。
大阪の高槻でも処分が出て、とりあえず処分関係の情報公開を始めようとしている。北九州では2名が処分。これに広島県の校長たちへの処分をいれると、大変な数になる。政府は、国旗・国歌法を成立させたときなんと言明したのか。「強制はしない」と言ったのはウソか。
学校グループも息の長い取り組みが必要である。なにより子どもたちへの発信として、とりあえず音楽、国語、社会で教材として、誰でもが使えるものを作り出す知恵こそ今求められている。それも、親や教員が見ている前でも使用に耐えるものを1年生から中学3年生までが使えるものを作ろう。価値の形成途上にある子どもたちと科学しよう。
また、労働組合や市民運動との連携を具体的に作ることも、問題を学校から市民社会に拡げていくことにつながるだろう。
【9月4日】 フィリピンから帰ってきたKさんが、最新のサマール(フィリピン)
の話をしにきてくれる。市長たちも元気そうだ。
謝罪と友好の碑の除幕式に、1995年のクリスマスに行って以来、サマールとはご無沙汰である。その年は、夏と冬の2回もサマールに行った。夏は家族旅行だった。そんなお遊びの僕をつかまえ、言葉も通じないのに、初対面の市長に、謝罪と友好の碑の建設についてサマール協会の考えを説明して建設計画を具体的に進め、完成時期を決めてこい、というのが僕に与えられた仕事であった。
市長は、僕らの本気をテストして除幕式をクリスマスにすると約束してくれた。
そして、碑が完成し、皆でクリスマスに再度サマールに行った。雪の代わりにイルミネーションが木や家の前に飾りつけてあった。こんな美しい光景はないというところで、数千人という人が集まる中で謝罪と友好の碑の除幕式が始まった。
Kさんに会うと、このときの出来事がいつも呼び起こされる。いい経験をさせてもらったものだ。
日本語・タガログ語教室をやっていたころのフィリピン人の仲間が、血液の病気で入院しているという。日本語はかなりうまくなっているとはいっても、やはり十分自分の意志を伝えることは大変だと思う。あのときのメンバーに声をかけて、誰かが見舞いに行ってくれるように手配してくれと頼む。
夕食時、長女が突然一人ではいってきた。武道センターで剣道の昇段試験の研修会があるという。早く着いたので見舞いにきたのだという。嬉しいものだ。
下痢がまだ続く。
【9月7日】
夜中から膝が痛み出す。痛くて寝られない。朝方、痛み止めを飲み、やっと少しうとうとする。再発かと不安になる。妻がきてくれ足をさすってくれる。痛みが少しましになった。
医者は、筋肉がすり減ったことによるものではないかと説明してくれた。夕方、また長女が来てくれた。
【9月9日】
教育基本法が改悪されそうだ。ボランティア活動の義務化も報道されていたが、今の文部省は一律にやらせることが教育としか考えていない。ボランティアはあくまで個人の自発性のもとになり立つものだ。強制されてする仕事は「強制奉仕活動」ではないのか。
【9月16日】
昨夜よく眠れなかった。午後、学校グループのOさん見舞いに見える。らくだの結成10周年の記念冊子を作るので原稿が書けるなら書いて欲しいとのこと。
何人かの友人とやっている授業の会は、今回は総合学習に決まったようだ。華々しく登場したゆとりの時間は今は誰も口にもしない。総合学習もなんとなく、そうした道をたどるのかという気がしないでもない。
学校は、新しもの好きである。それも、上から指示されたものを受け入れるのがうますぎる。教員の主体性とか授業を作り出す力はどうなっているのだ。僕は、この授業の会で交換した授業プランや共同制作した授業プランのおかげでどれだけ楽しく授業ができたことか。
年々教員の仕事は増えてきた。10数年前までは、毎日のように子どもたちと遊んでいた。今はそんな時間がない。教材を作るよりも、報告書を書いたり職員会議や研修会の提出書類を書いたりする仕事が増えた。
とにかく、忙しい中でも手持ちの教材がたくさんあることは楽しいものである。ゆとりを持って授業にとりくめ、楽しめる。文部省や教育委員会のねらいは、時間を奪い、考える余地を奪い、無力感に落ち込ませ従わせようというのがねらいだ。
そんな中で、気のあった者で教材を作るのは、おもしろいものであり楽しい作業でもある。
【9月19日】
骨髄の検査。夕方結果がでる。 また、再発。
今回はやっかいなことになりそうだ。GVHDがひどいので、まずそれを押さえてからでしか化学療法に入れないらしい。
明日から治療が大きく変わるようだ。はやく下痢が止まり、食べることで体力をつけたい。
【9月22日】
朝、ナース・ステーションの前で倒れる。ところが自分で起きあがれない。情けない。
昼頃から、身体のあちこち痛くなり、寝てばかり。
夕方、「君が代」訴訟をすすめる会(サマール協会)のKさんと、授業の会のKさんが来る。「これからの・『君が代』訴訟をすすめる会は、年一度でいいから卒業・入学式に向けての取り組みをすべきである」とKさんに言ってしまった。身体が動かないと口だけが動く。Kさんそんなことは、十分承知のはず。 困った病人である。