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四 「思想・信条を公権力によって告白させられない権利、
特定の考え方に関係を持たない権利」に関する判例
以上見てきたように、アメリカの裁判所では、憲法修正第一条の解釈にあたって、公権力は特定の政治的・思想的なイデオロギーを子ども・親・教師に強制してはならないという判例が確立している。
また、単に強制や義務づけを禁止するにとどまらず、「修正第一条を、自己の信ずる思想や主張を公権力によって告白させられないこと、すなわち話すのを控える権利を保障したものとして、前進的拡張的にとらえ、個人の知性と精神の領域を公権力から擁護することに努めている」(文献1 片山 P305)とも言われている。
『Constitutional
Law』では、「話すのを控える権利、関係を持つ権利、関係を持たない権利」として、ウーリィ事件等をあげているが、これを「ある特定の考え方に関係を持たない権利」の確立としている。「一定の公的な思想・見解と自分が距離を置き、その思想・見解と同調しない権利」というのである。
(『Constitutional
Law』 7th Ed. P998〜 …甲二二三号証)
*Miami Herald Publishing Co. v.
Tornilo
…連邦最高裁 一九七四年六月二五日 418 U.S. 241
…判決文は「94 SUPREME COURT
REPORTER」 P2832〜P2842
参照。
新聞が公職の候補者を批判する記事を掲載した場合には、その批判の対象となった候補者からの反論文の掲載を義務づけたフロリダ州法を違憲とした。
国家による法規制によって、一定の言論を新聞社にその意に反して強制的に掲載させることはできないとした。 (文献1 片山 P303) (『Constitutional
Law』 7th Ed. P962〜)
*Wooley v. Maynard (ウーリィ判決)
…連邦最高裁 一九七七年四月二〇日 430
U.S. 705、L.Ed.2d 752
…判決文は「97 SUPREME COURT REPORTER」 P1428〜P1439
参照。
(甲二二二号証。翻訳文は甲二二二号証の二) ニューハンプシャー州は、一九六九年以来、「自由を、しからずんば死を!」(Live
Free or
Die)という州のモットーを自動車のナンバープレートに掲示するように義務づけた。エホバの証人の信徒であるメイナードとその妻が、この州のモットーは彼らの道徳・宗教・政治上の信念と相いいれないとして、この部分を隠して走行したために罰金刑となったが、その支払いを拒否して一五日間の禁固刑となった。二人がこの州法の差止めを求めて提訴した。
連邦最高裁は二人の訴えを認め、修正第一条によって、ニューハンプシャー州に対して、ナンバープレート上のモットーを隠すかどで逮捕・起訴することを将来にわたり禁止した。ここではバーネット事件のマーフィ裁判官の同調意見で出された「話す権利」と「話すのを控える権利」という概念が持ち出されていることが興味深い。 「修正第一条は、多数の者と異なる見解を持ち、自らが道徳的に賛同できない考えを推進することを拒否す ることについての個人の権利を保護する。」
「修正第一条によって保護されている思想の自由についての権利は、自由に話す権利とともに、話すのを控 える権利も含んでいる。…話す権利(the
right to speak)と話すのを控える権利(the right to refrain from
speaking)とは、個人の精神の自由というより巾広い概念の相補的な構成要素である。」 「(バーネット事件の状況と比べて)国旗への敬礼という積極的行為を強制する方が、車のナンバープレー トに州のモットーを掲げるという消極的行為によって個人の自由を侵害することよりも、より重大ではある。 しかしこの相違は、本質的には程度のちがいにすぎない。バーネット事件同様に本件でも、個人に対して強 制する次のような州の措置が問題になっている。
ある人が承認できないと思っている思想的見解であるにもかかわらず、この見解への公衆の忠実な支持を 促すための道具となるように、この人に強要するという州の措置である。それによって、あらゆる公的統制 から免れてある、修正第一条の目的であるところの知性・精神の領域を、州は侵害したのである。」
「大多数の人々がこのモットーの趣旨に賛同しているという事実が、基準になるのではない。(バーネット 事件でも)大方のアメリカ人が、国旗への敬礼を承認すべきものと考えていたのであった。多数派とは異な る見解を抱き、倫理的にみてこの多数派の見解には反対だと思う人があるとき、…修正一条は、多数派の思 想を助長することを拒否するという個人の権利を保障している。…州の利益が、歴史や州のプライドに関す る『公式見解』を伝達すること、あるいは他のイデオロギーを流布させることにある場合には、この州の利 益なるものが、そのようなメッセージの特使にはなりたくないと思う人の修正一条の権利に優越することは ない。」 (文献9 蟻川) 『Constitutional
Law』 7th Ed. P998〜 …甲二二三号証(翻訳文は甲二二三号証の二)
*Abood v. Detroit
Board of Education
…連邦最高裁 一九七七年五月二三日 433 U.S. 915、97 S.Ct. 2989
…判決文は「97 Supreme Court Reporter」P1782 〜P1814
参照。
(翻訳文は甲二二四号証。 但し冒頭部分のみ) デトロイトの教員が州法および憲法にもとづいて、エイジェンシー・ショップ制度の労働協約の無効確認を求めた訴訟。
公立学校教員組合と教育委員会の間で結ばれた労働協約の内容に、組合員である教員が自己の見解に反するイデオロギー的な主義が盛り込まれていると思っている場合でも、公立学校教員としての在職条件として、その主義に賛同しかつ組合費支払うようにという部分が含まれていることに対して、連邦最高裁は一ケ月前のウーリィ事件判決と同じ考え方に立ち、このような労働協約は修正第一条に違反するとした。
「政府は個人に対し、公務部門の雇用の条件として修正第一条に保証されている権利を放棄するよう求める ことはできない。」
「憲法修正第一条の精神は、個人が信条の自由を有するべきであり、自由な社会では個人の信条は個人の理 性と良心にもとづいて形成されるべきもので、国家が強制すべきものではないということであり、信条の自 由は修正第一条の保護に関して副次的、あるいは二次的なものではない。」