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【参考】現在の公立学校での「国家への忠誠宣誓」の現状と問題
1・公立学校での「国家への忠誠宣誓」儀式の現状
このアメリカの公立学校での「国家への忠誠宣誓」の儀式は、現在どのようになっているのであろうか。また、学校で国旗・国歌はどのように扱われているのであろうか。
本訴訟の一審において我々が証人として採用を申請した永家光子氏は、『星条旗と日の丸』(太郎次郎社刊)において、次のような事例を紹介している。
「チャーチル・ロード小学校では、各教室の黒板の横に星条旗が飾ってある。次男の最初の担任J氏はこの旗を巻き上げたままで、一度も使わなかった。…彼にあった時に、なぜ誓いをしないのかをたずねると『個人的には、国旗というモノに誓うことがナンセンスだと思う。また星条旗のもつ歴史的な罪を考えたときに、とても子どもたちに自信をもって国旗をひろげて見せられるものではないと考える。しかし、私の考えを生徒に押しつけるわけにはいかないから、毎年、学年はじめに生徒に投票させて決める。私の経験では、生徒たちの意志で誓いをしたのは一回だけだ。…年寄りや若い人たちには分からないとは思うが、私たちは二度と国歌を歌わないし、国旗のために立ちあがったりしない」(P134)
「長男が通ったクーパー中学校では、体育室を除いて、どの教室にも星条旗がなかった。国歌を歌ったことは二年間で一度もなかった」(P137)
「アメリカでは、起立するか、歌うか、無視するかは、まったく生徒個人の選択にまかされている」(P138)・「(高校教師の発言として)『マクリーンは、まず教育水準の高い親が多い。おそらく全米で随一だろう。教師がうっかり愛国的な行動、つまり、誓いなどを積極的に行えば、必ず鋭い批判が親からでてくる』」 (P138)
また甲二〇八号証のダグラス・ラミス氏の意見書では、現在のアメリカの学校での「国家への忠誠宣誓」は、ベトナム戦争の頃以後、少し違ってきていると述べている。
「私の姉は高校で教えているのですが、今、アメリカでは『忠誠の宣誓』はどうなっていますかと聞いたら、今の高校生はどんな命令をしても従わない、座れと言っても座らないし、勉強しろと言ってもしないから、宣誓の言葉を毎日一回ぐらい校内放送で流すけれども、生徒は誰も聞いていないとのことでした。」
なおダグラス・ラミス氏の意見書では、アメリカの学校でのこうした国家への忠誠宣誓が、「朝鮮、ベトナム、パナマ、グラナダ…と、世界中の別の国へ行って戦争を続ける若者を作った。国家に忠誠を誓うというのはそういう効果がある」と指摘している。
このように、日本のように一律に強制されるのではなく、生徒個人の自主的な選択にまかせるという実態も、今まで検討してきたような、バーネット事件以降の裁判所の判例の積み重ねの上に作られてきたものであろう。
また、この問題は一九八八年のブッシュ、デュカキスの大統領選でも大きな争点になった。デュカキスは一九七七年、マサチュセッツ州知事時代に、この「忠誠の宣誓」を小学校で行うよう義務づける法案(この法案では、誓いを言わせない教師に制裁措置をとるとしたものであった)に対して、バーネット事件判決などを理由として、拒否権を発動したという。(1988.9.7 京都新聞)
2・マイノリティにとっての「国家への忠誠宣誓」儀式
合衆国において自由を奪われてきた先住アメリカ人や黒人などのマィノリティにとって、「万人に自由と正義を及ぼす共和国に忠誠を誓う」この「国家への忠誠宣誓」の儀式は、耐え難いものであった。
合衆国には現在、先住アメリカ人であるインディアンが約三〇〇万人住んでいる。合衆国政府は、彼らの土地と文化を奪い、居留地に住ませて徹底的な「同化政策」をとってきた。「インディアンでなくなること」が文明化であると言われ、アメリカ人になることだとされたのである。子どもたちは居留地から遠くはなれた寄宿舎に入れられ、学校では軍隊的規律が強要された。また学校では部族の言葉を話すことも認められず、いっさいの 「インディアン的なもの」も禁じられた。
現在もアメリカという国家を認めず、独自のパスポートを作るなど「アメリカ人」となることを拒否しているニューヨーク州北部の居留地に住むモホール族のクック酋長は、少年時代、星条旗に忠誠を誓えと強いられた時は、インディアンとしての誇りをもって次のような自らの伝統に忠誠を誓う言葉を唱えていたという。
「インディアンの誇りを忘れず、先祖の名誉が砂に埋もれるのを決して許さない。我々は先祖の正しい行いに従い、インデBアンの魂以外のものに、誓いをたてることを拒否する」
(NHKテレビ
1992.5.24放映「苦悩するアメリカ」)
「国家への忠誠宣誓」儀式に対する黒人たちの抵抗も強い。先に述べたFrain v.
Baron(甲二一二号証)事件は、黒人の高校生が「国家への忠誠宣誓」を拒否した事件であった。
宮沢康人氏の『世界の教育』では、黒人作家ボールドウィンの話として次のように述べている。
「あえて星条旗への忠誠を拒んだ、同じような思いは、黒人作家のジェームス・ボールドウィンによっても表明されている。彼は…『黒人は愛国者であることを期待され、自分には何の義務も果たしてくれない政府の旗に対して忠誠を誓うことを求められるのだ』と述べている。すでに七才にして、彼は『万人に自由と正義をもたらす国』という言葉を信じていなかったし、それを口に出して言うことさえできなかったと回想しているが、一九二四年生れの彼が子どもだった時、南部では黒人と白人の子どもたちは人種別に分離された学校で学んでおり、黒人の子どもたちに白人の子どもたちと肩を並べて同じ教室で学ぶ権利や能力があることさえ認められていなかった。そして、そのように分離されたそれぞれの学校で、同じ忠誠の誓いが教えられ、唱えられていたのである。『自由な国と自ら称する国が、このようにもあからさまに人を裏切りつつ存在することができるのだろうか』。これがボールドウィンの悲痛な叫びであり、アメリカ社会への問いかけである」
また、現在デトロイト市では住民の九〇%が黒人であるが、同市の市立マーカス・ガーベイ小学校では、「今までのアメリカの常識を破る教育が始まっている」(同右 NHKテレビ)と言われている。この小学校では黒人の子どもだけが集められ、毎朝の朝礼では、星条旗への忠誠の宣誓の儀式ではなく、二〇〇年前からアフリカ系アメリカ人の願いを込めて歌いつがれてきた、「今、声をあげて高らかに歌え」という「アメリカ黒人の国歌」とも言われる黒人の魂の歌が歌われている。教室の前には、星条旗ではなく、黒・赤・緑のアフリカのナショナリズムを象徴する旗が掲げられる。そして朝礼はアフリカの伝統にのっとり黒人の英雄たちの霊を慰める儀式で終わるという。
黒人としての誇りを持たせる教育が普通の学校では行われていないことに対する批判から、このような実践が始まったと言われているが、いずれにせよ、「公立」の学校で星条旗が掲げられず、また国家への忠誠の宣誓も行われず、黒人たちの独自の旗が掲げられ、独自の忠誠の言葉が行われていることは興味深い。
(宮沢康人『世界の教育』)
また、同じような思いは、外国からの移民にとっても同様であった。ダグラス・ラミス氏の意見書(甲二〇八号証)では、次のように述べられている。
「忠誠の宣誓」に関してはもう一つ興味深い話があります。一九〇五年、サンフランシスコから排日運動が始まりました。日本が日露戦争で勝ち始めると、日本人が恐ろしくなったのでしょう。その時たくさんの日本人がまずハワイへ来て、それからカリフォルニアにもたくさんの出稼ぎ労働者が来ました。それに対して入国禁止法を作ろうという排日運動が始まったのです。これはアメリカの人種差別の歴史の中でも非常に暗い一章なのですが、一九〇五年から戦争が終わるまでずっと日本人に対する人種差別が特にウエストコーストで激しくなったのです。 私が偶然見つけた当時のサンフランシスコの新聞(『
San Francisco Chronicle』 1907.3.3
)にこんな記事がありました。当時日本から来た若者の中には、英語やアメリカのことを勉強したいので、アメリカの学校に入った子どもたちも当然いたわけです。英語がよくできないから高校生ぐらいの年の子供が中学校に入ったりしたこともあったそうです。当然、そこで「忠誠の宣誓」を強制されました。ところが、何人かの生徒が、自分は日本国籍で、アメリカに帰化していないし、これからも帰化できないと言って「忠誠の宣誓」を拒否したのです。その宣誓は言えません、アメリカを嫌いではないけれど、アメリカを守ることを誓うことはできませんと言うことでしょう。その頃は新聞でも日本人への差別運動の材料を捜していましたから、これがアメリカ全国の新聞に大きくとりあげられたのです。こんなに日本人の性格は悪いんだ、こんな美しい言葉をなぜ言えないのかというようなことが、新聞の一面に大きな記事と写真で出されたのです。
アメリカ国民でもないのに、学校で『忠誠の宣誓』を強制されて、誓うことができないと断って差別されるということは、極めて奇妙なことです。こういうふうに考えると、在日韓国・朝鮮人の人たちの気持ちとか、あるいは日本に来た外国からの出稼ぎ労働者の子どもたちとか、いろんな日本国籍を持っていない子どもたちが、・『君が代』を歌わされる時の気持ちが分かるのではないかと思います。」