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4 バーネット事件判決以後の「国家への忠誠宣誓」に関する判例
a 「国家への忠誠宣誓」に関する判例
戦後もアメリカの裁判所では、バーネット判決の趣旨を尊重し、学校で「国家への忠誠宣誓」を子どもに強制することは憲法修正第一条違反だとする判断が定着している。
さらに戦後の判例では、宗教上の理由からだけではなく、良心の自由の観点からも宣誓拒否を認めているものも多い。また、「強制」ではなく、たとえ「国家への忠誠宣誓」を、反対する生徒には教室からの退出を認めたり、教室に留まる場合でも、起立したまま沈黙を守ることを認めるなど、子どもの自発的な意思に委ねる体裁をとった場合であっても、違憲としている判決が多いことが注目される。
たとえば次のような判決例がある。
*Holden
v. Board of Education of the City of Elizabeth
…ニュージャージィ州最高裁判所判決 一九六六年一月二四日 216 A.2d 387(Sup.Ct.N.J.1966) …判決文は「216
ATRANTIC REPORTER, 2d
SERIES」P387〜P391参照。 (甲二一一号証) この事件はイスラム教信徒の子どもたちが「国家への忠誠の宣誓」を拒否し、公立学校から退学処分を受けた事件である。
一九六三年当時、ニュージャージィ州では州法で、公立学校で毎日、右手を胸において国旗への忠誠の宣誓を復誦するよう定めていた。ただし「敬礼または忠誠宣誓を良心的に拒否する子ども、又は合衆国が外交特権を付与している外国政府派遣代表の子弟は、宣誓が行われている間、男子は脱帽し、気をつけの姿勢で起立するだけでよいから、国旗に敬意を払うこと」という免除規定がつけられていた。
子供たちはイスラム教あるいはムスリム、またブラックムスリムと呼ばれている宗教を信仰していた。その教えによれば全能の神アラーが唯一の忠誠を誓う対象であり、国旗は単なるシンボルにすぎず、いかなる国旗にも、たとえそれがイスラムの国旗であっても、敬礼や忠誠を誓うというようなことはコーランの教えに反するものであるとして宣誓を拒否し、退学処分を受けた。親が良心的拒否を認めている州法の免除規定が適用されるべきであるとして、子どもの復学を求めて提訴した。
州最高裁は、州法による国旗敬礼規定が良心的拒否を認めている場合、同免除規定は、宗教的信条とのかかわりを問うことなく、良心的拒否を理由とする生徒にも適用されなければならないとした。
「バーネット事件判決は、第一修正によって保護される自由が特定の宗教的信条にとどまらず、知性と精神 という、より広範な領域にまで及ぶことに好意的である。」
「免除規定の『良心的拒否』という文言は、同法の適用範囲を広いものにしている。良心の命じるところは、 個人の内面に属することであり、往々にして計りがたいものである。良心の命は、しばしば公衆道徳や宗教 の教義によって導かれるが、人間一人一人が異なるように、良心の命は、個人の解釈と処理のしかたによっ て差があるものである。良心の命が、国民の平和、福祉、安全にとって明白かつ現下の危険をもたらすよう な影響を及ぼさない限り、いかに気まぐれと思われるような良心の命であっても、人間に特有の意思に反し て試されるようなことがあってはならない。」
「合衆国憲法、州憲法および州法によって企図されている自由は、原告のように良心的に拒否する者の信条 を包含するほどに広範なものであることを確認する」 (文献8 佐藤 P600)
*Frain
、Keller v. Baron、 Miller v. Shucker
…ニューヨーク州東部地区連邦地方裁判所 一九六九年一二月一〇日 307
F. Supp.27(E.D.N.Y.,1969) …判決文は「307 FEDERAL SUPPLEMENT」 P27〜
P34参照。 (甲二一二号証。翻訳文は甲二一二号証の二) 一九六九年当時、ニューヨーク州の学校では「生徒の愛国心、民主主義への忠誠心」を高めるために「授業開始の前に必ず国旗掲揚ならびに国家への忠誠宣誓の時間を設け、それに準じて生徒全員が国歌を歌う」ことが定められていた。
原告のFrain
、Kellerは、12才の白人女子中学生、Millerは、黒人の高校生であった。彼らは、「忠誠宣誓の『全ての人々に自由と正義をもたらす』という言葉は今日のアメリカにおいては真実ではない」と主張して、忠誠の宣誓を拒否した。また原告の一人は無神論者で、「神のもとに」という箇所にも応じることができないとして、起立を拒否した。また彼らは、国旗掲揚並びに国家への忠誠宣誓に際して起立することは自らの信条に反する行為だとしてそれを拒否し、また教室を退室し、国旗掲揚並びに国家への忠誠宣誓が終了するまで教室の外にいることは、法の下で保障されている権利を行使したがために罰則を受けることだとしてそれも拒否し、教室で座ったままいた。
また黒人の高校生
Miller
は、「アメリカは偉大な国家であるかもしれないが、真の自由、平等、公正を国民のために実現するためには根本的な変化を必要としている。さらに少数派に対する抑圧を止め、黒人にもより多くの社会的進出の機会を与えなければならない」と、忠誠文の内容が虚偽であるという忠誠拒否の理由を書面で提出した。
結局、彼らは停学処分を受けた。
この校区では、以前、高校生たちが「国家への忠誠宣誓」の強制に抗議したため、一九六九年三月に、宣誓を拒否する生徒は教室から退室することが認められていた。この措置にあたって校長は「生徒並びに教員が国旗掲揚・国家への忠誠宣誓に応じることはあくまでも個人の裁量に委ねられている。ただ教室で座ったままいることは教室内の秩序を乱すものである」と述べている。
Frain
、Keller以外にも宣誓を拒否した生徒が何人かいたが、二人以外の生徒は校長室に連れられ、自分の言動について意思表明した上で、国家への忠誠宣誓時に無言で起立するかあるいは退室することに同意した。またFrain
、Kellerが登校を許された一〇月一〇日から一一月一〇日にかけて、その中学校では他の五〇人ほどの生徒が同様に国家への忠誠宣誓時に着席したままで教室に残ったという。
学校側は、「国家への忠誠宣誓時に生徒が着席したままでいることを認めることは、秩序の維持を脅かす行為である」と主張し、また座ったままでいた生徒たちのまねを他の生徒がしたことを問題にしたが、そうしたことは、混乱と言えるものではないと裁判所は認定した。すなわち「修正第一条は、異議申し立てが有効性を持たなかった場合とともに、それが成功した場合をも保護する」としたのである。座っている者に対して他の生徒が・「憤慨する」ことを学校側は恐れたが、裁判所は「憲法は、混乱をもたらすような反発が生じることが危惧されることを、平穏な表現活動を制限することの根拠になるとは考えていない」とした。
そして裁判所は、バーネット事件とティンカー事件判決(後述)の基準に従い、生徒には、良心の自由にかかる問題として、国旗敬礼のあいだ静かに座っている権利があるとしたのである。 「憲法で保障されている権利が生徒にあり、国家はその権利を侵害するに及ばないことは周知の事実である」 「異議を唱えるものが自らの権利に許されているあらゆる場において、静かにあるいは、異議を非暴力的か つ秩序を守りつつ表現する権利が与えられている。」
「裁判所の傍聴者が開廷に際して起立することに応じなかったことで軽い罰則を言い渡されたことがある。 しかしそのことはここでは拘束力を持たない。裁判所の傍聴はあくまでも自主的に行われるものであり、今 回問題とされている案件は、学校という義務教育機関において起こった出来事であるからである」
(文献5
P51)
*Banks v. Board of Instruction of Dade Country
…フロリダ州南部地区連邦地方裁判所 判決 一九七〇年六月二六日 314 F.Supp.285(S.D.Fla.,1970) …判決文は「314
FEDERAL SUPPLEMENT」P285〜P303参照。 (甲二一三号証。翻訳文は甲二一三号証の二) この判決も右記のFrain v.
Baron判決と同じように、「国家への忠誠宣誓」に対して、宗教的理由だけではなく、良心的理由からの拒否も憲法によって保障されているという判断を示した。
一九七〇年、フロリダ州の高校生
Banksが「国家への忠誠の宣誓」の時に、国旗への敬礼に異議を持ち起立を拒否し、停学処分を受けた。彼は自らをユニテリアン派であると言い、国民国家を超越した一つの世界を作ることによって世界平和が持たされると信じていると主張した。またアメリカにおける黒人差別の問題も起立を拒否する理由としてあげている。
教育委員会は国家への忠誠宣誓儀式に「参加しない権利」を認めていたが、参加しない生徒にも「静かに立っている」ことを求めていた。
Banksはそのような要求は、憲法の「言論、並びに表現の自由」を侵害すると主張した。裁判所も、バーネット事件から「起立することは忠誠の宣誓の儀式に不可欠なものであり、敬礼や宣誓の言葉と同様に、受容と尊敬をあらわす表現にほかならない」と生徒の主張を認めた。また、裁判所はここでもティンカー事件判決(後述)を引用し、起立拒否は表現行為であると認めている。
「国旗とは国家を象徴するものである。その配色、模様はわが国家を象徴すると同時に、国としての歩み、 功績や抱負を示すものである。…国家への忠誠宣誓に際して起立することは、それらの象徴されていること を受入れ、敬意をはらう行為であり、忠誠を誓うのと同等の行為である。」
…国旗を起立して崇めるという行為は個人が国家権力を受け入れること、またそれに対する敬意を払うこと に等しいと見なす。」
「原告による行為は、彼の宗教的信条ならびに、彼の政治的思想に根ざした自己表現であったと言えよう。 国家への忠誠宣誓に際して、起立を拒否する彼の行為は、反戦の意を表明するティンカーの行為となんら変 わりないと思われる。彼の行為はまさしく自己表現であった。」
「異議を唱え、自らの意見を表現するという修正第一条によって保障されている自由の烽ニで、たとえ国家 に対する敬意が示されなかったとしても停学処分の執行によってそれらの意見が制圧されるべきではない。」 (文献6)(文献11
P144 )
*Hanover v. Northrup,
…コネチカット州連邦地方裁判所判決 一九七〇年五月一日 325
F.Supp.170(D.Conn.,1970) …判決文は「325 FEDERAL
SUPPLEMENT」P170〜P173参照。 (甲二一四号証) 一九六九年、コネチカット州では毎日の始業時に国家への忠誠宣誓をするように定められていた。教師 Hanover
は、宣誓文の「『全ての人々に自由と正義をもたらす』という言葉は真実ではない」として、忠誠宣誓を拒否し、またクラスでの指導も拒否して、生徒に忠誠文の朗唱を委ね、自分は教卓に頭を垂れて着席していた。 彼女は解雇されたが、裁判所は「教師が忠誠の宣誓を指導したり、自ら唱えたりすることを拒否することは、憲法修正第一条によって保護された表現の一形態であって、それを禁じることはできない」「原告の行為により何人かの学生が、忠誠の宣誓を差しひかえたとしても、それはたいしたことではない」として、解雇を無効とした。
*State
of Maryland v. Lundquist
…メリーランド州控訴裁判所判決 一九七一年六月一四日 278 A.2d
263(Md.,1971) …判決文は「278 ATRANTIC REPORTER, 2d
SERIES」P263〜P282より引用。
(甲二一五号証。翻訳文は甲二一五号号証の二) メリーランド州バルチモアの高校教師
Lundquistが、宗教的な理由で反対する者を除く全ての生徒および教師に、起立して国旗に敬礼をし、一斉に忠誠の宣誓をすることを求めるメリーランド州の法律に対して、「良心」を理由として反対した。彼は、宗教的な理由ではなくて、「良心において」自分のクラスの生徒に愛国心を強いることができないという理由で、強制的な国旗敬礼儀式に従事することを拒否すると主張した。
また彼の高校生の息子(父親とは別の高校)も、同様に国旗への敬礼儀式にかかることを拒否した。
裁判所は、このような法律は憲法に違反して言論の自由を制限するものであるとの判決を下した。
*Russo
v. Central School District No.1,
…連邦第二巡回区控訴裁判所判決 一九七二年一一月一四日 469 F.2d
623(2d Cir.,1972) …判決文は「469 FEDERAL REPORTER, 2d
SERIES」P623〜P634参照。
(甲二一六号証。翻訳文は甲二一六号証の二) ニューヨーク州のスペック高校では、一九六九年九月に「国家への忠誠の宣誓を日課として朗唱し、全ての生徒および職員は国旗への敬礼を行うこと」という通知が学校の掲示板に貼られた。それ以後、毎日、校内放送で教員か生徒の一人が「国家への忠誠宣誓」の言葉を読み、他の生徒と教員は各クラスで起立して放送の声にあわせて宣誓の言葉を復誦することになっていた。
仮採用中の女性試補教員
Russoが、担当のクラスでの国旗敬礼行事の際に、気をつけの姿勢で起立はしたが、忠誠の宣誓を復誦せず、また国旗への敬礼もしなかった。彼女の拒否理由は、宣誓の言葉にある「すべての者のための自由と正義」という文言は、現在の米国民の暮らしむきを反映していない、従って、それを適格だとも有効だとも思わぬまま誓約の言葉を口に出すことは、非常に不誠実な行為であるというものであった。
彼女は生徒に同じ行動をとるよう指示したわけではなく、また彼女の行為によって学級が混乱したという事実はなかった。
また七〇年二月には、教育委員会は各校の校長に対し、すべての生徒は忠誠宣誓の間、起立していることと念を押す指示を出したが、四月には方針を変更し、誠実な良心上の信条が理由で忠誠宣誓のセレモニーに参加できない生徒は、自らが望めばその間、着席したままでいることを許されると通知した。ところがルソー氏の宣誓拒否が問題になった後に再度方針を変更し、旗に敬礼することを拒否したすべての生徒は敬意を表する態度で静かに立っているよう求める通知を出した。
そして彼女は七〇年六月末に免職となった。
連邦控訴裁判所は、連邦最高裁のバーネット事件判決を教員にも適用し、国旗敬礼拒否を理由とする教員の免職処分は無効であると結論し、最高裁も再審請求を棄却(一九七三年)してその判断を確定した。
「『旗への敬礼』という短いフレーズに結びついた問題は、根深い感情がからみあった状態をむき出しにし、 そして愛国主義や忠誠心というものの意味や、これらの言葉が様々な人々に対して持つ様々な意義を論争の 場に引き出す。」
「公務員が、不当であるか否かにかかわらず、いかなる条件にも服さなければならないとの理論は、連邦裁 判所の諸先例によって一貫して否認されている。」
「バーネット事件判決から、宣誓を拒否し国旗への敬礼を拒否することが表現の一形態であるということは 問題はない。表現が沈黙の形をとっているということは問題ではない」
「バーネット事件判決において
Jackson判事が『人権の荘厳なる普遍性』と宣告した内容には、ティンカー 事件判決で述べられているように、学校運営上必要とされる相当程度の規律が損なわれない限り、修正第一 条が生徒よりも担当教員に対してより制限的であると解釈される余地はない。…生徒も教員も『校内で言論 または表現の自由を享受する憲法上の権利を放棄しない』としたティンカー事件判決の先例に学びたい。」 「学校は、国旗への敬礼を行うプログラムを維持することに相当な利益を有している。…しかしこのような 諸規則は慎重に作られなくてはならない。というのも、『これほど私たちの貴重な自由にきわどくふれる領 域では、規則の厳正さがその可否の試金石とならざるを得ないからである』」
「第一修正権は憲法上の諸権利の中で最も重要であるので、個人的な非難を受けやすい言論であっても、言 論の自由は保護されなければならない。…強制される忠節が忠節とは正反対のものであるのと同じく、強制 される愛国心は偽りの愛国心である。単に忠誠宣誓を拒否したからと言って、特に原告教員のような誠実で 良心的なものと思料される信念をもっている市民の忠節を非難すべきではない。まして、信念も目的もなく、 腹蔵がありながら、機械的に毎朝、宣誓を復誦する市民の忠節も必ずしも賞賛すべきことではない。愛国心 と忠誠心は、もっと深遠なものである。
我々の結論は、次のとおりである。すなわち、言論に対する違法な要求に抗して黙秘する権利は、違法な 黙秘要求に抗して話す権利と同じく、第一修正の保護を受ける。…胸中にないことの表明を人に強要するこ とは、米国の長年の基盤であった寛容と理解という規範に反する。」 「Barnette事件でジャクソン裁判官はこう述べている。『いかなる公務員も、…政治・愛国主義・宗教・そ の他の意見の分かれることがらにおいて何が正統かを定めることはできないし、また強制的に市民に対して それらに関しての信念を言葉や言動で表現させることはできない』 私たちは、これこそが修正第一条の根 底にある精神を正確に、かつ考え抜いて述べたものだと信じ、ここにおいてこれに従うものである。 (文献6 中村、文献8 佐藤 P601、文献11
P144 )
*Goetz v. Ansell
…連邦第二巡回区控訴裁判所判決 一九七三年四月一九日 477 F.2d 636,638(2d.Cir.,1973) …判決文は「477
FEDERAL REPORTER, 2d
SERIES」P636〜P639参照。
(甲二一七号証。翻訳文は甲二一七号証の二) ニューヨーク州の高校生
Goetzが「国家への忠誠宣誓」の言葉の「全ての人々にとっての自由と正義」という言葉の真偽を問い、「国家への忠誠宣誓」に賛同しなかった。校区教育委員長と校長は、忠誠宣誓の時間中、これに反対する生徒には教室から退出することを求めたり、教室内にとどまる場合でも起立したまま沈黙を守ることを求め、いずれかの選択を生徒に委ねた。しかし原告は、自分には静かに着席している憲法修正第一条の権利があると主張し、結局停学処分を受けた。
裁判所は、ここでもバーネット事件を引用、教室を出るということが、その儀式に参加しないということを理由とする穏やかなタイプの処罰に該当するし、起立して沈黙を守るように強制することは、その生徒が深く信奉している信念を押さえ付けて忠誠の承認をその生徒に強要することになる。従って生徒の選択の有無にかかわらず違憲とした。
「バーネット事件では、忠誠のみならず敬意を表明する動作を強要していることが問題として指摘された。 そこで判決は、国は個人に対して、その信条を問うことなく国家に対する忠誠を言動において強要すること は認められないとされた。忠誠宣誓時に、起立したままでいることそのものも既に国家に対して忠誠を示す 行為であるとされる。このことはニューヨーク州における法規定においても言及されている。つまり、この たび原告に与えられた選択権は、原告の信条を問うことなくして国への忠誠を強要していたとみなされる。」 「Abington
School District 対 Shempp
判決を参照のこと。『追い出された生徒は仲間内での社会的地位 を失ったり、憎しみや非難、軽蔑の目でみられがちである』」
*マサチューセッツ州最高裁
マサチュセッツ州では一九七七年に、「全ての公立学校では、教師は毎朝最初の授業のはじまる時に『国家への忠誠の宣誓』をクラスで一斉に唱えるよう指導しなければならない」という法律が成立した。
マサチュセッツ州最高裁はこれに対して、知事に、バーネット事件の最高裁判決を引用して「この法律は教師の修正第一条の権利を侵す」と進言した。そこでは「あるイデオロギー的信念の表現を強制して個人にその信念への同一化や帰依を求める公権力の試みは、いかなるものであれ、修正第一条によって禁じられている」という見解が示された。(Opinions
of the Justices to the Governor, 363 N.E.2d 251(Mass.1977)
) (文献6 中村、文献11 P144
)
b 国旗・国歌への起立拒否に関する判例
なお、「国家への忠誠宣誓」の拒否に関する判例だけではなく、国旗掲揚、国歌斉唱時に起立を拒否した生徒に対する同様の判例もある。
アメリカの国歌(「星条旗」)は、一八一四年のイギリスとの戦争の際、英軍の捕虜になった若い弁護士フランシス・S・キーが、拘束された軍艦から見えた星条旗に感動して書きあげたものと言われている。この詩はバルチモアの新聞に掲載され、戦勝祝賀会で披露された後、イギリスの古い民謡のメロディがつけられてアメリカ各地で歌われるようになった。そして一九三一年三月、アメリカ議会が正式に国歌として採択した。 (美山書房『世界の国歌』)
(青木富貴子『星条旗のアメリカ』文芸春秋社)
*
Sheldom、Wingo v. Fannin
…アリゾナ州連邦地方裁判所判決 一九六三年八月二九日 221
F.Supp.766(D.Ariz.,1963) …判決文は「221 FEDERAL
SUPPLEMENT」P766〜P776参照。 (甲二一八号証、翻訳文は甲二一八号証の二) 一九六一年九月、アリゾナ州の小学校でエホバの証人の生徒たちが、音楽の授業の国歌演奏・斉唱の際に起立を拒否し、反抗的だとの理由で停学処分を受け、その両親たちが裁判所に提訴した。
エホバの証人たちは「全能の神エホバの言葉である聖書」で、古代バビロンの王の命令で演奏された愛国的、宗教的音楽に頭を下げるのを拒否した三人のヘブライ人の話にもとづき、宗教的信条として起立を拒否した。
裁判所は、「第一修正は宗教的信条に基づく起立拒否を生徒に保障しており、この権利主張の誠実さ、または妥当性について裁判所が吟味してはならない」として、この処分は生徒たちの修正第一条の権利を侵害するものであり、生徒らを学校から排除してはならないとした。(文献8 佐藤 P601)
「もし国歌の演奏や斉唱が行われる儀式への参加の拒否が、公立学校の教室でなく、他の公共の場か私的な 場所で起きたことであったなら、原告らは参加するかしないかを自由に選ぶことができたことは全く疑う余 地はない。『星条旗よ永遠なれ』が演奏されている時、どの市民も立とうが座ろうが、歌おうが黙っていよ うが自由である。」
「我々は皆、表現の自由の枠の中で、公言された信条が他の人にとってはどんなに根拠のない、滑稽に見え るものであっても、何でも信じたいものを選び、それを表現する自由がある。…かくして修正第一条は、原 告らに、起立を拒否したのは宗教上の信念に基づくものだという主張をする権利を保障し、この主張が真面 目なものであり、道理あるものかどうかの検証をする必要はない。」
「政府当局は、戦争時の『国家的統一』の名のもとでも、いかなる信念もいやいやながら表現させることを 強制してはならない。」
「被告らがだした唯一の正当な意見は、原告らが国歌斉唱時に起立を拒否したことに寛容な態度をとれば、 教育上の躾の問題が生じるというものである。…しかし、躾の問題が生じるというより、むしろ残りの生徒 たちが立ち上がって国旗と国歌への献身を歌っている一方で、数人の生徒が起立を拒否しているというのを 受け入れることの方が、クラス全体にとって、アメリカの政府のもとでのすばらしい授業になるだろうとい う意見は多い。」
*Lipp v. Morris
…連邦第三巡回区控訴裁判所判決 一九七八年七月一八日 579 F.2d 834(3rd
Cir.,1978) …判決文は「579 FEDERAL REPORTER, 2d
SERIES」P834〜P836より引用。
(甲二一九号証。翻訳文は甲二一九号証の二) 当時、ニュージャージー州の規則では、「(学校での)忠誠の宣誓時には起立注目して、国旗に対する最大の敬意を示すこと」と定められていた。一六才の高校二年生、デボラ・リップが「宣誓の言葉は真実ではない」として、「国歌吹奏の中で星条旗が掲揚される時、立とうが座っていようが、個人の自由である」ことを確認しようと提訴した。
判決は、国家は生徒に対して国旗への敬礼の時に起立しているというような「含みのある象徴的行為」に参加するよう強要することはできないとし、生徒に「象徴的表現」のある一形態をとることを要求するのは修正一条違反であり、生徒の国家への忠誠宣誓の儀式に「参加しない権利」を侵すものだとした。(文献6 中村)