[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」


 一、 学 校 で の 「 国 家 へ の 忠 誠 宣 誓 」 に 関 す る 判 例

1 学校での「国家への忠誠宣誓」
 アメリカ合衆国の多くの公立学校では、毎朝、始業時に国旗敬礼と「国家への忠誠宣誓」の儀式が行われてきた。この忠誠宣誓の言葉は、愛国主義を鼓舞する全国的な気運がたかまってきた一八九二年一〇月に、アメリカ大陸発見四〇〇年を記念するシカゴ万国博覧会の式典のためにバプテスト派の牧師 Frances Bellamyによって書かれ、若者むけの雑誌『青年の友』に初めて掲載された。はじめは子どもたちの自発的な誓約だったが、しだいに公立学校で儀式として行われるようになった。
 この「国家への忠誠宣誓」儀式は、毎朝始業時に国旗にむかい、次のような忠誠の言葉を宣誓するものである。  「私はアメリカ合衆国の国旗と、それが象徴する共和国、すなわち神のもとに一つの国家として不可分であ  り、全ての人々に自由と正義をもたらす不可分一体の国家に対して忠誠を誓います」
 (この中で「神のもとに」という一句は、一九五四年、米ソ冷戦下に議会が挿入を決めたものであり、無神論 のソ連に対する優位性を誇示するためのものであったと言われている。…後述 宮沢『世界の教育』参照)

 当初は、参加者は起立して右手掌を国旗に向けた姿勢をとって宣誓していた。しかしその姿勢がナチの敬礼に似ていたので、後に右手を胸にあてるかたちに変更された。
 一八九八年、米西戦争で米国がスペインに宣戦布告した翌日に、国旗敬礼法が初めてニューヨーク州で成立した。さらに一九〇四年までには一八州が、国旗について何らかの教育を行うように定める制定法をそなえ、また州の法律が特に義務づけていない場合でも、多くの学区教育委員会がこの行事・儀式への参加を強要した。参加を拒否するとその子どもは退学になり、敬礼・宣誓に応じない限り復学は認められなかったという。
 一九四二年には連邦議会が、忠誠朗誦文および忠誠を示す姿勢を規定し、国旗法が制定された。
*当時、ニューヨーク州では次のような法律が定められていた。(甲二一六号証  Russo判決参照)
 ニューヨーク教育法第八〇二条(国旗にかかわる指導要領)。
  1.州の公立学校で使用するための、国旗への敬礼ならびに日課としての国旗への忠誠の誓約を定めたプログ  ラムを作成し、各校のさまざまな学年におけるさまざまな要求にもっとも適切に応える形で、これを本来の  目的に、または掲示のために、もしくはその他の教育長官が都合がよいと考える、愛国心を育てる演習のた  めに指導要領として使用することを、教育長官の職務とする。

 教育長官の規則。
  108.5 国旗に対する誓約。
   (a) 各校は、以下の誓約文を使用すべきものとす。
    「私はアメリカ合衆国の国旗と、それが象徴する共和国、すなわち神のもとに一つの国家として不可分         であり、全ての人々に自由と正義をもたらす不可分一体の国家に対して忠誠を誓います」
   (b) 旗への忠誠をするにあたっては、その方式は右手を左胸に置き、起立して誓約を行うものとする。
  108.7 その他の指導事項。
     アメリカの世の中の象徴としての国旗に関する指導は、国旗制定記念日(6月4日)を祝うにとどまるべきで     ない。小学校を出るまでに、子供たち一人ひとりは自分のことを「国旗をつくる者」と考えるようになっているべ    きであるし、また高等学校を修了する各生徒は、「すべての者に自由と正義を」の意味について、すでに真剣     な形で指導をうけているべきである。

*この部分の記述は次の文献等による。
 (1)R.E.Morgan, Flag Salute Cases,                      …(甲二〇九号証)     ENCYCLOPEDIA OF THE AMERICAN CONSTITUTION,(Macmilan,1986)          
 (2)Frain v. Baron  307 F. Supp. 27 E.D.N.Y.(1969)             …(甲二一二号証) (3)片山等「星条旗と日の丸」(『青山法学論集』第三二巻) 
 (4)永家光子『星条旗と日の丸』太郎次郎社
 (5)宮沢康人『世界の教育』放送大学教材
 (6)青木富貴子『星条旗のアメリカ』文芸春秋社



2 ゴビテス事件判決までの判決例
a コビテス事件判決まで
 学校での「国家への忠誠宣誓」の儀式に対しては、宗教団体、特にエホバの証人派による反対が最も持続的に行われた。彼らの教義では、国旗敬礼は旧約聖書で禁じられている偶像崇拝にあたるとしてこれを拒否し、忠誠の宣誓の朗誦文も、決められたものではなく、彼ら独自のもの(後述バーネット事件の項参照)を朗誦した。
旧約聖書 出エジプト記第二〇章四節および五節
「汝自己のために何の偶像をも刻むべからず。また上は天にあるもの、下は地にあるもの、ならびに地の下の水の中にあるものの何の形状をも作るべからず。之を拝むべからず。これに事ふべからず。」

 彼らが問題としたのは、一七九一年に憲法に追加された合衆国市民にとっての「権利章典」と言われている憲法修正条項の第一条の、国教樹立を連邦議会に禁止し、信教の自由・表現の自由を保障した次の条文である。

 *憲法修正第一条
   「連邦議会は、国教の樹立を規定し、もしくは信教上の自由な行為を禁止する法律、また言論および出版の自    由を制限し、または人民の平穏に集会をし、また苦痛事の救済に関し、政府に対し請願する権利を侵す法律を    制定することはできない」

 彼らは一九三八年から一九五〇年の間に、連邦最高裁に「宗教の自由」に関連して、二〇以上の事件を持ち込んだ。(田中耕太郎『教育基本法の理論』有斐閣 P552) 彼らの主張には、「他者の眼から見ると奇妙に思われる」主張もあったが、「そうした主張を貫き、訴訟で争うことによって、彼らは信教の自由を前進させてきたのである」と言われている。(平野武「剣道履修拒否と信教の自由」『龍谷法学』 25-1) 
 当初下級裁判所で審議された問題点は次の二点であった。
 @「国家への忠誠宣誓」の儀式は宗教的行事であるか?
 A「国家への忠誠宣誓」の儀式への参加強制は個人の憲法上の権利を奪うものか?
 しかし、当初、州裁判所のレベルでは、この「国家への忠誠宣誓」の儀式は宗教的儀式ではないとされ、国家の利益を優先したものが多かった。
 たとえば当時の判決例としては次のようなものがある。

*ジョージア州最高裁(一九三七年)
 「国旗敬礼は愛国主義的な学校行事であって宗教上の儀式ではないから、エホバの証人信徒の信教の自由が侵 害されたことにはならない。」           (Leoles v. Landers,184 Ga.580,192 S.E.218 1937)
*ニュージャージー州裁判所(一九三七年)
 「州制定法の要求に応じたくないものは、彼らだけの学校を自由に作ることができる。」        
                  (Hering v. State Board of Ed, 117 N.J.L. 455, 189 A, 629 1937)
*カリフォルニア州裁判所(一九三八年) 
 国旗敬礼拒否を理由とする生徒への退学処分が認められた。
                   (Gabriel v. Knickerbocker, 12 Cal. 2d 85, 82 P. 2d 391 1938)
*ニュヨーク州最高裁判所判決(一九三九年) 
 エホバの証人派の一三才の女生徒が学校での「国家への忠誠宣誓」の儀式に参加することを拒否し、その両親が義務就学法違反の罪に問われた。州最高裁はこの儀式の強制を合憲としたが、両親が子どもの就学を拒否した事実はないとして無罪とした。
 判決文は、生徒の信教の自由についてさほどの配慮を示すこともなく、「国旗敬礼は、礼拝行為でもなければ偶像崇拝でもなく、まして宗教的な儀式ではない。国旗は宗教と無関係である」と、国家および州の利益を優先したものであった。
  「州は、善良な市民たる資格に不可欠な教育内容の一環として愛国心教育を要求できる。生徒は、国旗敬礼  儀式に参加しなければならない。」
  「…国家の多くは国民の士気の低下のために倒壊している。従って州が、青少年の愛国心を喚起し、それを  保障させる方途を講ずることは正当である。本州と同じように国旗敬礼を要求する他州の法規は合法と判決  され、それに従わない生徒の退学処分が支持されている。」
 ただ愛国心の教育方法に関しては、「国旗に対する敬礼は、国旗が象徴している事柄に対する愛と崇敬による裏づけがない限り、国家にとってはそれほどの活力にはならない」と、国旗敬礼を拒否するような事態が生じないような教育方法をとるべきであると、子どもの側に対する教育的配慮に言及している。
 またこの判決の賛成補足意見では次のように述べられている。
  「国旗敬礼は愛と尊敬の行為であり、その行為の奥に真の尊敬があってこそ立派な敬礼になる。良心の命令  に衝突する俗権の指示に従うよう脅かされた子どもによって、不承不承の敬礼をされることにより国旗は恥  辱を与えられる。心底から愛されるべき国旗は、いたいけな子どもの涙によって汚されるべきではない。」                                       (文献8 佐藤 P596)                  (People Fish v. Sandstorm, 279 N.Y. 523, 18 N.E. 2d 840 1939)  
  
b ゴビテス事件連邦最高裁判決
 …一九四〇年六月二日  Minersville School District v. Gobitis  310 U.S.586
 …判決文は「SUPREME COURT OF THE UNITED STATES」84 L ed 1375〜1385参照。   …(甲二一〇号証) この問題が初めて連邦最高裁に持ちこまれたのが、アメリカが太平洋戦争に突入する前年の一九四〇年のゴビテス事件であった。
 当時、ペンシルバニア州では、毎日学童に「国家への忠誠宣誓」の儀式への参加を義務づけ、これに反すれば退学させられることになっていた。エホバの証人派信徒である Gobitis家の二人の子ども(一二才と一〇才)が、国家への忠誠を示さなかったために退学処分を受け、その父親が公立学校におけるこの行事の執行停止を求めて提訴した。地方裁判所と巡回(控訴)裁判所は Gobitisを勝訴させたが、連邦最高裁判所は八対一の票差で、国旗敬礼・忠誠宣誓の行事への参加を強制するペンシルバニア州法律を合憲とした。
 フランクファーター裁判官執筆の法廷意見は、司法審査にあたって、裁判所は法律を作った議会の意志を尊重して、司法審査を極力控え違憲判決を下さないようにせよとする徹底的な司法自制説に立つ判決であった。「忠誠心を養い国家的統一を促すという国家の必要は法的価値体系の上で何ものにも劣ることのない最高のものである」とし、信教の自由という自由も、秩序ある社会を前提として成り立っており、その秩序ある社会を表象するのが国旗なのであるから、国旗敬礼の義務化も許されるとしたのである。議会の多数派意思から成る法律への服従義務についても、宗教上の少数派の依拠する信教の自由をもってしても適用除外・免除されることはないとした。(文献1 片山 P292)
 フランクファーター裁判官は判決文でさらに次のように述べている。
  「法廷は教育政策を論議する場ではなく、人種や宗教上の主張が非常に異なる人々の間において、個々人の特 異な性向を同時に尊重しながら、伝統的民主主義理念への忠誠を確保するという微妙なプロセスの中に存在する 種々の異なる考え方の間、一定の選択を下すということは、連邦最高裁の職分ではない。もしそのような判決を下 すとしたならば、連邦最高裁をして国家の教育委員会にしてしまう。…家族関係を大切にすること、親たることに威 厳を与える威厳と独立性、あらゆる自由の享受も、わが国旗に縮約されている秩序ある社会を前提にしている。… このような権威を司法の場に移すのではなく、世論という公開討論の場において、議会の議場において、立法権の 行使が妥当か否かをめぐって闘わせる方が、自由な人民であるという確信を立証するのに役立つのである。」     
 この法廷意見に対して、ただ一人反対したストーン裁判官の次のような反対意見が注目される。
  「政府が自らの存続を確保する権利については認められる。仮に、道徳や国民の安全・秩序にとって有害となる   宗教上の慣行を政府が抑圧せねばならないとしても、この政府の権利については承認される。…しかし自身の宗  教上の信念に反する学校行事に参加するのを二人の子どもが拒否したというそのことには、右のような危険はか  かわってこないのである。…自発的に行われるならば、あるいはそのような忠誠心の表明も国家統一を促進する  かもしれない。しかしその一方、次のことは、それとは別の問題である。信教の自由という憲法上の保障があるに  もかかわらず、子ども、親の宗教上の信念を侵害して、子どもに強制して意見表明させることが、とりわけ当該行   事への服従強制を教育委員会の自由にまかせる場合には、国家統一にむけての重要な役割を果たすであろう   か。」 
 また、同裁判官は、法律の合憲性の司法審査の意義について、次のように述べている。
  「市民に自らの宗教に反する感情を公けに表明するよう強制することができるか、という問題を法律に委ねる余地があるとしても、民主的な過程という救済のチャンネルが開かれている限り我々は立法部の判断を審査すべきでないとしたら、少数派の自由という憲法上の保障が議会多数派の意思に屈服することに他ならなくなる。…通常は少数派の保護のためにより所になるべき民主的な政治過程であるが、孤立した少数派に対する偏見が、その民主的な政治過程の機能を縮減してしまう可能性のある場合には、厳格な司法審査が必要である。」
  「…強い宗教的確信を持つ少数派集団が、自身の信ずる宗教にとって不快に思われるような信条を表明しない   権利は、学校での規律を維持する州の利益に優先すべきでない、とは言えない。連邦憲法は、あらゆる犠牲を払  ってでも民主政の過程を擁護すべしと言うにとどまらず、こころと精神の自由( freedom of mind and spirit)の擁  護についても表明している。」



【参考】「二重の基準論」
   このストーン裁判官の反対意見は、一九三八年のカロリーヌ・プロダクツ会社事件(United States v.    Carolene Products Co. 304 U.S.144)で自ら執筆した法廷意見の脚注で掲げた、いわゆる経済的自由権と  精神的自由権に関する「二重の基準論」の考え方に立つものであった。
   この脚注の「二重の基準」の考え方とは次の三項目である。
    @国家機関による制限が憲法上明確に禁止されている人権を脅かすような立法には、合憲性は推定され    ない。
    A不当な立法の改廃を行うことを通常期待できる政治過程を制限する立法…すなわち、選挙と表現の自    由に対する制約、政治結社への干渉、および平和的集会の禁止など…は、経済過程に影響を与える立法    の場合よりも、より厳格な司法審査に服する。
    B特定の宗教的、国民的もしくは人種的少数者、すなわち社会的に分離し孤立した少数者に対する偏見    が、通常は確実に保護してくれる政治過程の働きを著しく弱める(つまり議会を少数者の不満に応えら    れなくしてしまう)ようになる場合には、より厳格な司法審査を要求することができる。
   要するに、経済的自由権を規制する立法と、精神的自由権や民主制の過程を規制する立法とを区別し、前  者については司法の介入を極力自制し、他方後者についてはむしろ違憲性の推定をもって厳格に司法審査に  あたるというものである。
   ストーン裁判官はゴビテス事件においても、この基本的考え方に立って反対意見を書いたのである。そし  て三年後のバーネット事件では法廷意見がこの考え方を忠実に採用した。(文献1 片山 P294)
            (松井茂記「二重の基準論についての一考察」佐藤ら編『人権の現代的諸相』有斐閣)